新自由主義と現実2009/07/17

学者や理論家の言うことを真に受けて現実にそのまま適用したら、どうなるか。ほぼ100%惨憺たる有様になるだろう。いくら言葉をつくそうが、抽象化されたものであり、現実はそれよりはるかに複雑、多種多様であり、かつ歴史を負っている。たかだか学者や理論家の言葉でカバーできるほど単純ではない。

最近でも、惨憺たる有様はすぐ身近で起きた。米国での新自由主義理論の大家で、1976年のノーベル経済学賞受賞者、シカゴ大学のミルトン・フリードマンさんの唱える新自由主義。何のことはない。現実の動きを追っていくと、こいつは都合がいいと思った連中がフリードマンさんの理論を大宣伝し、ノーベル経済学賞を授与して権威付け、その権威とやらを楯にやりたい放題のことをやったに過ぎない。その結果はご承知のとおり。金融活動はバクチにまで進化し、何がどうなっているのか分からないところにまできた。

こうしたことは別にいわゆる左翼でも同じだろう。マルクスとやらの理論を信奉し、余りにもすごい理論らしいので、読んで覚えるのに精一杯。当てはまるわけのない現実に一生懸命当てはめようとするものだから、不都合な現実は見て見ぬふり。しかし、彼の理論に基づいているはずの旧ソ連、現在の中国、北朝鮮を見れば、新自由主義理論と同じく、こいつは都合がいいと思った連中が革命とやらを煽って権力を奪取したに過ぎないことが分かる。こちらは、支配される側の人間の数の方が支配する側の人間の数を超圧倒しているから、別に権威付けしなくてもよい。洗脳して、その人数が多くなればいいだけだ。日本には、共産党というお手本がまだ生き延びているが、余りにも現実無理解、教条的なので一般の人たちに相手にされない。残るは洗脳された人たちだけということになる。

いわゆるこうした理論の現実化された姿がいかにいい加減かは、もっと歴史が長く、広がりがある宗教をみたってわかる。キリスト教にせよ、イスラム教にせよ、仏教にせよ、大枠はあるにせよ、極論すれば、人の数だけ異なる信仰があると思ってもいいほどだ。それらの宗教の宗派とか団体、グループを数え上げれば、現実がそのことを証明してくれる。その数の多さに驚くばかりだ。きっとどこもかしこも、「我が党(あるいは会とか)こそ真の~~~」なんてやっているなんてことを想像すると、どことなく可笑しくなってこないだろうか。

肝心な新自由主義について言えば、少なくとも米国では死んでいない。いろんな報道を追う限り、オバマ大統領自身が自由市場の信奉者。経済学ではないが、シカゴ大学で教えた経験も持っている。何が変わったかというと、これまでは、政府機関がやっていたことをどんどん民営化して、規制緩和するという方向にだけ向いていたのだが、これからは規制緩和は変わらず、自由市場(主に金融)はそのままに、主な金融機関が困ったときは政府が手助けすることになった、というところだろうか。だから、ブッシュ政権から続くゴールドマンなどの金融機関救済も、その金融機関の元社員に丸投げしている。

日本の新自由主義は、根本的なところで単に米国に貢ぐ、あるいは貢がせるための方便に過ぎないと言えるだろう。しかし、権力が金融資本にある米国と異なり、日本の場合は権力が違うところにあるようなので、政府行政機関の外側に次々と官製機関と言えるものが増えることになった。同じ新自由主義でも、それを利用する人たちがどのような立場の人間か権力かによって現実の展開はまるで違った様相を呈する。しかし、官僚にもいるであろう売国奴が幅をきかせ続ければ、それさえも許されない時が訪れることは間違いない。

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