ネットとテレビの狭間で2009/08/20

テレビをまともに見なくなってどのぐらいの時間が経っただろうか。それ以前に新聞も読まなくなった。一応宅配されてはくるが、新聞を読まなくなってから10年近くは経っている。911、そしてその後のアフガン、イラクで読むことがバカらしくなり、読もうと思っても頭に入らなくなってしまった。テレビは5年ほどだろうか。どなたかが新聞を読むのを止めるとか、テレビを見るのを止めるとか呼び掛けるのは幼稚だ、ってなことを書いていたが、それ以前に生理的に新聞やテレビを受け付けなくなってしまった。

情報の点で何か問題があるかというと、別にない。電車の中吊りを読めば、だいたいの展開が予想できるので、世間でするような話にはついて行ける。逆に聞くだけの立場の方が気が楽でいい。

問題は自分の興味があることが出てきて発言したとき、他の人たちとまるで違う意見になってしまうことだろうか。自分の目にしていることと、マスコミを通じて他の人が目にしていることとが余りにも違うため、仲間からも胡散臭い目で見られることがある。例えばけっこう前に、多くの人が使っているだろうVistaは開発費稼ぎのために出した不良品でしょう、みたいな話をしたら、あんな世界的な大企業がそんなことをするか、ってな話しになった。こればっかりは過去のいろんなことを話しても疑われるばかりと思って、そこで止めてしまった。こんな日常的なことでも、事実が明らかになるには時間がかかる。ハードとソフトが合体してパソコンとかを買わせようとしているわけだから、彼らがそのために何をするかを考えればいいと思うのだが、やはり水戸黄門は強い。水戸黄門自体がかなりやばい奴だと言ったら、袋叩きに会いかねない。

そんな意味では、どう転ぶか分からないが、少なくとも自公政権がなくなり、政権交代することは本当にいいことだと思う。一度壊れなければ、何も見えてこないものもある。小泉竹中猪瀬がやったことは、売国行為であることがハッキリし、共通認識になってきた。何が大切で何が大切でないか、また何を残して、何を捨て去るべきなのか、個々人がそんなことを考える時代になればと思う。

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