思考の罠 12009/06/16

海外の記事を見ていると、発想の転換を促すような意見に出くわすことがある。国内の記事だけ見ていると、例えば日本の自動車電機などの輸出産業という点では、ほぼ誰もが日本は資源のない国だから、というのが暗黙の前提にあり、そこからのみ物事を判断、意見を発するようになっている。だから、結論として日本の輸出産業の優位性を維持するには、とかそんな発想しか出てこない。現実問題として、政策も今回の補正予算をはじめとしてそれら貿易産業を維持するために、至れり尽くせりの「公共事業(public services)」として巨額の税金を投入している。

別に技術を低く見るわけではないが、単に技術はカネで売り買いできるという事実は忘れるべきではないだろう。ハイブリッドで日本が先んじているといっても、その技術は売り買いできるものであり、賃金格差を考えれば、遅かれ早かれ中国などが追いつくと考えるのが常識的な線だろう。おまけに輸出産業など今やソニーまでもが、言葉が悪いかもしれないが、単なる「大量生産屋」に堕している印象を受ける。

そんなことを思っていたら、まだ米国の住宅バブルが弾ける前の2006年3/4月号のForeign Affairsにプリンストン大学のAlan S. Blinder教授の次のような記事紹介があった。住宅バブルが弾ける前、このブラインダー氏は米国にはもっともっと海外アウトソーシングできるものがあり、その主なものが「impersonal services」と考えていたことが分かる。

「...技術および国際通信のたえざる改善は、将来、はるかに多くの"impersonal services"(誰がやっても同じサービス)すなわち、品質の低下がほとんどまたはまったくなく長距離で電子的に提供できるサービスの海外アウトソーシングを保証していると言ってよい。」(... constant improvements in technology and global communications virtually guarantee that the future will bring much more offshoring of "impersonal services" -- that is, services that can be delivered electronically over long distances with little or no degradation in quality.)
ソース:Foreign Affairs -「Offshoring: The Next Industrial Revolution?」
(オフショアリングが誘発する次なる産業革命)
http://www.foreignaffairs.com/print/61514

で、実際に米国はそのようにやり、日本でも、例えば携帯のサービスなどは海外アウトソーシングされている。あらゆることで「コストが安い」ことが基準になっているから、当たり前の成り行きである。とはいえ、俺が気になるのはブライダー氏の考える"impersonal services"の基準である。日本語で「誰がやっても同じサービス」としたが、この基準は日本人、アジアの人々でも同じだろうか?世界共通だろうか?最近日本の農産物の評価が高いとよく言われるが、それほ他の国民には余り見られない心遣いというか、潔癖性というかそんな「personal services」にあるのではないだろうか?

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