犯罪の立証責任は誰にあるのか - コメント欄から2010/01/18

この間、小沢さんの件に関してよく書いていて、皆さんの関心も高いせいか、コメントをよく頂く。内容に目を通してはいるのだが、返事を書かずにいることを、申し訳なく感じている。言い訳くさくなるが、返事を書くところまで頭が煮詰まらないというか。いずれにしても、コメントを有り難うございます。

いただいたコメントの中で、小沢さんの4億円の件に関する「『4億円不記載」』とは一体何なのか」と題する元検事の郷原信郎さんの日経BPの記事に対する以下の私の記事に対して、「通りがかり人」さんというハンドル名の方から簡潔な指摘をいただいたのでそれを紹介したい。詳しい内容は下記URLの記事を読んでいただくとして、俺の指摘の要点だけを書けば、郷原さんの「小沢氏は現金貸付の原資を早急に説明すべき」との提言に対する疑念である。

「憶測」に「説明」で応じることは適切か?(更新)
http://ootw-corner.asablo.jp/blog/2010/01/13/4809902

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犯罪の立証責任は、だれにあるのか、という点だと考えます。もちろん、犯罪の立証は検察にあるわけです。世間でどんな噂が流れていようと、犯罪を立証する義務があるのは、検察です。怪しい、という噂だけで、説明責任がある、というのは、刑事訴訟手続きを知らない人、推定無罪の原則を知らない、無知な人たちのたわごとであることを、あらためて確信しました。

「通りがかり人」さんからのコメント
http://ootw-corner.asablo.jp/blog/2010/01/13/4809902#c4813640
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先ほど読んだ、植草さんのブログにも同様の主張が見られた。「通りがかりの人」のコメントとともに併せて読むと、成る程と納得する。ご自分の体験を含めて、現在の「説明責任」の問題点がまとめられているので、お勧めである(俺のブログの読者はとっくに読まれていると思うが)。

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第8条(罪刑法定主義)

法律は、厳格かつ明白に必要な刑罰でなければ定めてはならない。何人も、犯行に先立って設定され、公布され、かつ、適法に適用された法律によらなければ処罰されない。

 市民は法律が定めることによらなければ、むやみに検察に事情を話す義務を負っていない。警察が人権を無視して傍若無人にふるまい、市民がその横暴に屈服する姿は、特高警察の時代の遺物である。

 この点は元自治相の白川勝彦氏から学ぶべきである。

 小沢氏は法律の定めによらず、安易に事情聴取などに応じるべきでないとするのが、正しい市民の判断である。

 検察は日本の支配者ではない。とりわけ、昨年3月以降、検察の暴走、政治偏向が際立っている。検察を絶対視するマスメディアの基本姿勢が腐っている。検察を一行政機関として相対化することが不可欠である。

「一・一五事変」の重大問題②推定無罪の無視 from 植草一秀の『知られざる真実』
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-5676.html
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コメント

_ うめ ― 2010/01/19 10:48

いつも拝読させていただいております。立証責任の問題は、よく週刊誌などが、政治家に訴訟を起こされる裁判での、問題にも通じると、思います。この場合、立証責任は、被告側とされ、ジャーナリストは、「ニュースソース」を明かさずに、立証することが、できません。このことと、賠償金の高額化、個人情報保護法案、新聞広告を、早く新聞社にわたさなければならなくなったなど、雑誌が、つまらなくなってきた原因だと、思われます。今回の小沢氏関連の構図は、耐震偽装の時の大騒ぎに似ていると感じたのですが。押尾問題を、忘れさせる。勿論、官僚一丸となって、小沢氏を追い落とし、民主党を手のひらの上に、のせる。石川氏の選挙区を、清和会に取り戻す。クロスオーナーシップを、うやむやにしてしまうなど、利害が、一致してます。小沢氏側が、うまく、使って、「人質司法の廃止」「全面可視化」などを、実現してくれるといいですね。

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