なぜオバマにノーベル平和賞が贈られたか?2009/12/16

ノーベル賞...それは、世界にとっていろいろな意味で一種国力を示す指標のようになっている。ノーベル賞受賞者を輩出する国は素晴らしい国というわけだ。だから、日本でもノーベル賞受賞となれば、大騒ぎとなる。そのノーベル賞の平和賞が今年は米国大統領バラク・オバマに贈られ、現地時間12月1日の受賞演説となった。その演説を聴いてみれば、ブッシュが言った先制攻撃、予防攻撃にもっともらしい理屈を付けただけだった。これまたブッシュと同じく「悪」を持ち出し、違いと言えば、ブッシュは米国一国でも攻撃をすると言ったが、オバマの方は国際社会の協力が必要だと言った。

しかし、大統領選出後のオバマの言動を振り返ると、演説でのオバマの発言は予想されたものだった。イラク撤退と言いながら完全撤退は3年後という長期に渡ってのものだったし、アフガニスタンは「必要な戦争」で実際に3月に第1弾の増派をしたし、今や戦争犯罪として訴追されかねないイスラエルのガザ攻撃についても、そもそもイスラエルから始めた攻撃であるにもかかわらず、自衛権と称してイスラエル支持を打ち出した。

にもかかわらず、ノルウェイのノーベル平和賞委員会は10月にオバマを選出し、授賞式の1週間ほど前にオバマはアフガニスタン増派の第2弾を発表して、今回の受賞演説となった。どのような理屈を付けても自衛・予防戦争を肯定している人物を平和賞に選出したことは明らかだろう。つまり、世界的権威となっているノーベル賞は、オバマの言う自衛・予防戦争にお墨付きを与えたことになる。

では、ノーベル賞の権威の失墜ともなる今回のオバマのノーベル平和賞選出はなぜ行われたか?

その理由は、欧米日主要メディアで大きく報道されることはほとんどないが、この間世界で顕在化してきている大きな地殻変動にあると思える。数百年も前に始まった欧米による植民地収奪、第二次大戦後も生き延びてきた欧米による軍事力・情報支配の時代が終わりを迎えようとしている。この流れを主導しているのは、正しく欧米日により植民地化された、あるいはされかかった中国であり、インドである。オバマのノーベル平和賞選出は、ノーベル賞という世界的権威を使って、この流れに対抗しようとする欧米の姿勢の象徴であり、オバマの受賞演説は戦争をやってもこの流れを阻止するという表明である(植民地全盛時代と同じ、ほとんど兵器らしい兵器もない者たちへの戦争ではあるが)。

かって欧米日による植民地時代を味わった中国やインド、その他の国々は、その時代の苦渋を都合よく忘れてくれているだろうか。そんなことはないだろう。当時と違い中国もインドも、一方的にやられることのないそれなりの国力を備え、また欧米に多くの人間を送り込み、欧米のやり方を知っているし、情報を持っている。このように見ていくと、幸せなことに、俺たちは本当に歴史的な大転換の時代に生きているのを感じる。

よく言われる米国内対立は本当か?2009/12/16

米国でサブプライム問題が顕在化してから、よく言われるのは金融資本と軍需資本(あるいは戦争屋)の対立があるという見立てである。しかし、これは本当なんだろうか?田中宇さんやその他多くの、事情通と思われている人たちから、この見立てが主張されている。

田中宇さんは、2003年イラク攻撃が始まる当初、穏健派(あの当時はパウエル国務長官)と強硬派(チェイニーやラムズフェルドなど)という見立てをしていた。そのうち、田中宇さんだったかは忘れたが、国防長官がラムズフェルドからゲーツになると、ネオコンに対して現実派という見立てが登場し、これはかなりの人が言っているのを目にしたことがある。

どちらのケースも言っていることは、米国内にも気違いみたいな連中とまともな連中がいて、米国の政策はその間を彷徨っているということだ。そして、まともな連中が権力につきさえすれば、米国も健全な国になる可能性があることを示唆している。言うなれば、本来は健全なのだが、時々極端に走る、あるいは狂うこともあるという米国に対する肯定的意見である。さらに言えば、いわゆる民主主義という欧米的制度の暗黙の肯定である。しかし、良くなったはずのオバマがノーベル平和賞受賞演説で主張したことは、ブッシュやチェイニー、ネオコンと同じ先制攻撃、予防攻撃の肯定である。いろんな理屈は付いたが、自由にしても何にしても、根本的にはブッシュが言っていたことと同じということになる。

対立という見立てもいいが、そもそも現在の世界情勢は、内部対立していられるほど欧米に余裕のある状況なんだろうか。少なくとも金融立国を目指した英米の目論見はもろくも破綻した。そして、やたら市場原理主義者に経済学賞を与えていたノーベル賞は、先制攻撃、予防攻撃を肯定するオバマに平和賞を与えるまでに至った。軍需とか金融というより、植民地時代からの優位を維持したい欧米が、CO2削減問題などをはじめとして一体となっている姿が浮かび上がってこないだろうか。まだ死にものぐるいではないにしても。