盲米ポチ右翼と左翼という似たもの同士2009/12/14

仕事でも遊びでも数多くの日本人が韓国や中国に訪れ交流を深めていく中で、右翼と称する盲米連中が相も変わらず朝鮮学校に対して嫌がらせを行い、他方では左翼と思われる頭の堅い連中が未だに戦争責任あったらこったらを言っている。どちらも時代遅れの、そして恐らくは海外生活も送ったこともなく外界をしらないだろうウンザリする連中だけど、まあいるものは仕方がない。盲米連中は、そのうち金づるがいなくなって、消えるだろう。反朝鮮、反中国を騒ぎ立てるだけで美味しい思いができる時代は終わるだろうから。

俺が厄介だと思うのは、自分たちは正しいことを言っていると信じ切っているらしい、いわゆる左翼の先生方だ。この偉そうな先生方は、思想信条の自由とか、歴史を直視せよとか言う一方で、必ずといっていいほど戦前の出来事を「戦争責任」に結び付ける。これ変だろう。なぜなら、戦前戦中のある出来事に対してどのような「思い」を抱くのか、「責任」を感じるのかは、個人の思想信条、個人の内面の問題で、他人がとやかく言うことではないからだ。まして、自分がやったわけでもなければ、なおさらであり、「ふざけるな」ということになる。

しかし、偉そうな先生方は、どいういうわけか国民に向かって「戦争責任」とかを持ち出す。不思議で仕方がない。それほど自分たちが「日本の責任」を感じているなら、これからどのように中国や韓国と関係を結んでいけばいいのか、自分たちで新しい視点を提供したり、行動したりすればいいではないか。しかし、そんなものはない。ただ単に「日本の戦争責任」と言うだけで終わり。

なぜ、そうなるか?

考えつく結論は一つだけ。戦後、米国がやったように、またやっているように道徳的に劣る民族とかという劣等感を日本人に刷り込み押さえつけたいから、そうとしか考えようがない。米国の意図は分かるが、一体全体、日本の先生方は一般国民とは違う立場に身を置いて何を目指しているのだろうか?(一般国民とは違う立場に身を置いて別の何かを目指していると考えなければ、将来に向けて何を提案するでもなく、自分の親や親類がやってきたことを単に「責任」あったらこったらとボロクソに言い続けることはできないだろう。)

戦中に起きたことを見れば、ごく最近のイラクやアフガニスタン、パレスチナを見ても、どこもかしこも同じだ。新兵器の練習をして、虫けらのように殺している。自分のところのゆるーい交戦規定で人殺しをして、あれは規定違反ではないとのたまわる。追い詰められれば、交戦規定もへったくれもなくなる。他人の土地にずっと居座りたければ、最近のアフガニスタンのように人類学者、社会学者を動員して、アメとムチの両方の政策をとる。ほとんど日本がやったことと同じであり、日本にだけ限定して言ったって何も始まらないのだ。

コメント

_ かなりの田舎のアラカン女子 ― 2009/12/14 16:36

ここ最近TV、特に政治関係は見ていて???!うんざりして消すことが多いけど。趣意ありきの進行に傾かない解説?者はいないのかなー。芸能人・スポーツ関係者・慣れっこになったコメンテーターばかり。ギャラがあればいいのかな。

_ masa ― 2009/12/15 08:58

アラカン女子さん、お早うございます。まあご承知でしょうけど、テレビで話をする人というのは、それぞれの役回りのタレントさんと考えればいいのでは、と感じています。テレビ局が望む話をしてくれる人ということで出演依頼もされているでしょうから。望まない話をしそうな人を呼ぶときは、対抗馬を十分に用意して、その人の意見を潰す方向で話が進むように編成する。

言ってみれば、テレビのコメンテータは政治社会の話をする役回りのタレントですね。しかし、タレントで元々定見なんてないから、政権交代後はけっこう彼らも不安なんじゃないでしょうか。自公政権時代のように、こう喋っていれば間違いないという線がなくなって、下手をすれば仕事がなくなりますから。そうなると報道系番組のテレビの唯一の楽しみは表情ウォッチングかなあ。特に目の動き。賢い番組は、なるべくどういって良いか分からない質問をさせて、コメンテータのそのときの表情を大写しにする方向になるかもしれませんね。その方が面白いから、視聴率が稼げるかも。

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