*政権交代による悲喜劇 - マスコミは報道機関か?(加筆修正)2009/09/17

半世紀以上も起きなかったことが起きると、当然、混乱は起きる。今までのやり方に慣れてしまっているから、新しいことに対処できないのだ。何よりも、この混乱が一番起きやすいのは、マスコミだろう。新しい政権と最初に対峙するのは、マスコミだからだ。最近持ち上がっているらしい記者会見開放や事務次官による記者会見廃止の問題もその流れの中で見ることができる。

選択のあとに:09政権交代 鳩山内閣発足(その2止) 知る権利に不安も
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090917ddm041010083000c.html

この記事の中で、俺が面白いと思ったのは、記事の主テーマではなく、最後に紹介されていた民主党の「政治資金問題第三者委員会」委員を務めた服部孝章・立教大教授(メディア法)という方の話だ。服部さんは、こう語っている(発言の一部を取り出しただけだろうから、これで服部さんがこうだというわけではない)。

引用>「官僚は報道機関の取材に応じるな」と言っているに等しい。報道機関の役割を軽視し、国民の知る権利や取材の自由を阻害しかねない。これでは「脱官僚」ではなく「脱民主主義社会」になってしまう。<

この発言から分かることは、少なくとも服部さんは、現在のマスコミを「報道機関」と見なしているということだろう。しかし、俺は、少なくとも現在のマスコミに「報道機関」は存在しているかと問われれば、「No!」という結論しか出ない。例えば最も分かりやすい例でテレビ局を採り上げてみよう。

・ 俺がテレビを見なくなったのは、あの傍若無人のコマーシャルにある。例えば推理小説を読めば、面白くなると、明日の仕事を忘れて、朝方近くまで読んでしまうことがある。しかし、どのぐらい前からそうなったのか思い出せないが、テレビドラマでも、さっさと続きを見たいというところでコマーシャルが入る。誰もが分かるように、これはコマーシャルを見せることがテレビ局の最大関心事であることを物語っている。おまけにドラマの主人公だった俳優がコマーシャルで出てきたりする。つまり、テレビは広告代理店ってことだ。だから、彼らがつくる番組は、広告ばかりじゃ誰も見てくれないだろうから出している付け足しに過ぎない。ごく近い将来のテレビ局の姿は(一部現在でもそうだろうが)「テレビ・ショッピング」とやらの番組にハッキリと出ている。
・ でも、ニュースを流すじゃないかと聞かれれば、ここでもまた、そりゃ広告ばかりじゃ誰も見てくれないだろうから、っていう理屈が当てはまる。しかし、このニュースは厄介で、そのまま起きた出来事を報道しているのかと思えば、広告代理店だから、当然、広告主に対する配慮があり、取捨選択、編集、時には嘘あり、ってことになる。だから、国民の受信料で成り立っているはずのNHKでさえ、小沢さんの秘書、大久保さんの件では、「容疑を認めはじめた」なんて嘘を流した。

つまり、俺から見ると、少なくともテレビメディアというマスコミは「報道機関」ではなく広告代理店、宣伝機関なのだ。広報にテレビを使う省庁の官僚もまた立派な広告主だ。だから、服部さんの意見、「官僚は報道機関の取材に応じるな、と言っているに等しい」というのは、その根本から誤りで、そもそも現在のマスコミに「報道機関」なんて存在しないんだから、「取材に応じるな」もへったくれもない、ということになる。

つまり、少なくともテレビ局は「報道機関」と見るべきではなく、特定の組織のために働く広告代理店、広報宣伝機関と見なすべきで、その意味では、電波割り当てや記者クラブなどなど、テレビ局が受けている特権はきわめて不当であり、解体されるべき、と思える。だから、民主党には、まず「報道とは何か?報道機関とは何か?」ということを考えて、記者会見の開放とかを考えて欲しいと思う。

コメント

_ 非既得権益国民 ― 2009/09/18 02:02

ブログ管理、ご苦労様です。
またお邪魔してしまいました。

ご指摘のとおり、大メディアは、まさに「世界の笑いもの」です。

さらに加えて、この国の大メディアの認識には、根本的で基本的な勘違いがあると思います。

昨晩の鳩山新政権の各閣僚への記者の質問で、官房長官らが、政府は今後「記者会見」は政治家が専任し、「官僚の記者会見」を中止すると言ったことに対して、記者たちは繰り返し「取材規制」だの「知る権利の侵害」だのと騒いでいました。

それに対して、藤井財務大臣が、政府や省の政策に関する「見解」を、官僚がしゃべってはダメだ。技術的なことや専門的なことについて官僚に「取材」することをダメだと言っているのではない。誤解されては困るとたしなめられる有様。

つまり、この国の大メディアの記者たちは、記者クラブ制度に庇護され、苦労せず与えられる「会見」を「取材」だ信じているということ。
今晩(9月17日)夜9時からのNHKのニュースでも、同様の言葉を「田口キャスター」が発していました。
ご指摘の毎日新聞の記事も同様です。

「惚けた質問」もさることながら、「会見」と「取材」の意味さえ理解していないこの国の大メディアが「亡国のマスゴミ」と呼ばれるゆえんだと、悲しくも納得した政権交代の夜でした。


また、記者会見の開放についても、新政権には頑張ってもらいたいと思います。

他の一部ブログ等では、民主党が「記者会見の開放を反故にした」、「裏切りだ」、「約束違反だ」等々、早くも非難の嵐のようです。

しかし新政権が、突然一方的に権力で任意団体たる「記者クラブ」を廃止することは不可能です。既得権益側は必死で抵抗するでしょう。昨日の会見や毎日新聞の記事のように。

 今は、冷静にセキュリティも含め、誰が主催するのか、どういう規模や頻度にするのか等々、記者会見の新しいあり方や仕組みを作っていく必要があると思います。民主党には今こそ、そういう努力をしていただきたい。

 フリーのジャーナリストの方々も、今回開放されなかったからと、ただ非難ばかりでなく、どういう解決方法があるのか、どういう方法が望ましいのかなどを、こういったネットも利用しながら、建設的に提案し続けてほしいと思います。もちろん国民も。「国民主権」なのですから。

 鳩山新総理も記者会見で、「どんどん意見を言ってもらって、育ててください」というような趣旨の挨拶をしていました。

 既得権益側から、第一ラウンドの開始ゴング後にワン・パンチ喰らったからと、それですぐに民主党を見放すことは、まさに「敵」の思うツボだと思います。

また、官僚の記者会見を中止するのですから、これを続けていけば、いわゆる「記者クラブ」の談合取材特権も、さらには存在意義も今後間違いなく低減していくでしょう。

戦いは、根気良く、段階的かつ戦略的に。

今後も貴ブログ楽しみにしています。
長々とお邪魔いたしました。

_ masa ― 2009/09/18 17:39

非既得権益国民さん、今日は。コメント有り難うございます。賛同です。半世紀以上も間違ったことやられれば、一朝一夕に正せるわけではないし。何よりも、今回の官僚による記者会見の廃止のように非常識が常識になっちゃってるし。

だから、先ずもって、何が常識で何が非常識かをはっきりさせなければならないかもしれません。そのためには、考え方の基礎となる前提を煮詰めるべきだと考えています。例えばそもそも役所が持っている情報の所有者は誰なのか?とか。そういった前提がハッキリと固まれば、では、出来る限り公開できるようにするには、どうすればいいのかという議論に進めるのではないでしょうか。

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_ 路上で世直し なんで屋【関西】 - 2009/09/22 03:24

民主党政権に変わったことで、大きな体制変化を求められているのがマスコミです。自民党や官僚との癒着構造については既にかなり指摘されており、まず政権主体が変わったことそのものが大変化です。加えて、民主党は以下のようなマスコミ改革案を打ち出していました。・政府....