新自由主義は本当に死んだのか?2009/07/23

どの記事やコラムを読んでも、昨年10月初めの金融救済法の議会成立をもって米国の新自由主義は破綻したというのが、誰もが一致した見方だ。確かにそうだろう。小さな政府とか自由市場とか、規制緩和とかを最も唱道していた連中が税金による救済を受けたのだ。その後の会計基準とかの見直しも、なんとまあ、いい加減、言っていることとやっていることが違うのかと思った。

しかし、理論や思想は、それに利用価値を見つけたものが勝手に利用しているだけという俺の見方からすると、新自由主義は破綻したかもしれないが、死んではいない。理屈が破綻しただけで、その理論を利用した連中が目指している価値はまだ生き続けている。

これは、新自由主義を利用した者たちの最大の目的とは何か?を考えると分かる。「グローバリゼーション」、「自由貿易」とは何だろうか。「規制緩和」とは何だろうか。これらのかけ声は否定されただろうか。そんなことはない。小泉竹中政権を否定している人たちの間でさえ、これらのかけ声は受け継がれている。

「グローバリゼーション」とは何なのか。その目的は、各国の国家主権を破壊することで、可能な限り何の規制も受けずに国際企業が自由に活動できるようにすることにある。「年次改革要望書」に書かれていること、またこの間ずっと起きてきたこと、起きていることを思い出すといいだろう。ゴールドマン・サックスしかり、IBM、モンサントしかり。国際金融資本を中心勢力として国家主権が破壊されている。この方向にもっていけば、規模の経済ではないが、当初から競争力がまるで違うのだから、論理的な必然として、それぞれの国でそれぞれの分野の産業経済を独占できるではないか。

その先にあるのは、当然、実質的な国家の死であり、自由の死である。国民主権は失われ、一握りの企業が国家を統治する世界だ。これからますます唱道されることになるであろう地域政府、世界政府は、最終的には企業が統治支配する地域・世界政府のことだ。地域、世界の国家間協力が必要であるとしても、現在の方向でのグローバリゼーションは回避しなければならないのではないか。

米国政府から日本政府への年次改革要望書(2008年10月15日)
http://japan.usembassy.gov/pdfs/wwwf-regref20081015.pdf

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